世論と輿論 「FAKE」映画批評
『FAKE』恣意的メディアに疑いの視座を
今日に至るまで私たちはメディア(メッセージを伝達する媒介)と、多様な関わりをしてきました。それはテレビであり雑誌であり、新聞でもあり、昨今ではインターネットによる情報の収集が主流となっています。現代は、得ようと思えばいくらでも情報を得ることが可能です。そのため、インターネットを駆使できる人と全く利用しない人の格差(デジタル・デバイト)が広がりつつあり、情報を収集し主体的に読み解きその真偽を見極める能力(メディアリテラシー)も注目されています。私たちは真実を見るべきです。そしてその真偽(嘘か誠か)を見極める大きな情報源が“メディア”という媒体です。
しかしながらこの映画を見れば、多くの人が困惑するでしょう。混沌とした感情で映画が終わることでしょう。からなず“疑いの視座”がつくでしょう。この『FAKE』は非常によくできたドキュメンタリー映画です。しかし最後まで見るとこれをドキュメンタリーと言っていいのかも不安になります。この映画を最後まで見ても真実を突き付けられることはないし、むしろあなたの眼はこの映画によって傷つけられてしまう。今までどうりの世界を見ることが出来なくなってしまう。
このような感情を呼び起こした映画の背景には相互的に疑うべき社会があります。今回の文章はいつものような映画評論というよりも、私の意志も含めた、映画を通した評論です。映画を通じて社会を考えることが本文の目的であります。
2014年㋁㏤、作曲家・佐村河内守の自作であるとされていた曲がゴーストライター(新垣隆)による代作であることが発覚しました。多くの人が覚えているでしょう、連日テレビを独占しましたからね。その佐村河内守の発覚後を追ったドキュメンタリーがこの映画です。そして全編ほとんどがマンションの一室での映像などで、動き(アクション)がほとんどありません。密室ドキュメンタリーです。しかしながらこの映画にはそれを支えるだけの内実があります。
メディアとは
冒頭にメディアの話を出しましたが、メディアを簡単に定義すると“メッセージを伝達する媒体”であるそうです。このようにメディアを正確に定義すると、映画も立派なメディアということになります。しかし映画は単なる情報の伝達ではなく、感情の伝達機能もはたします。そしてドキュメンタリーというものは、ある事実を映しつつある隠喩(メタファー)を含んだ一種のメディアでありますから、映画の裏側の意志に気付かせることがドキュメンタリーの目的でもあります。
白黒ではなく対消滅
この映画の監督である森達也監督は映画のインタビューにたいしてこのように答えています。
「白黒ひっくり返して黒白になっても意味ないんですよね。じゃあどうやって白黒じゃないのかってことを言えるかというと、白と黒ぶつけて、白と黒なくしちゃえばいいやって。対消滅させたんです。プラスとマイナスをぶつけるとゼロになる。」。監督は映画のラストについて語っています。映画のラストこそが最も衝撃的であり、この映画が訴えかけるもっともなメッセージでありますが、それは実際に映画をみて体感してください。きっとあなたの現実感は全く違うものになるでしょう。
メディアと社会ムードの結託
この映画をみて最も感じることは、現代の日本におけるメディアと社会ムード(雰囲気)の結託です。たとえば、今回の佐村河内騒動。テレビをはじめとするマスメディアは一方的に佐村河内氏を徹底的に批判、弾圧し、それに比べゴーストライターとなった新垣隆氏を一方的に、「あなたは本当は悪くないんですよね」といわんばかりにメディアの引っ張りだことなり、そして最も恥ずべきことはそのメディアと世論(大衆的な気分・訳注1)が完全に合致してしまっていること。だから、テレビやワイドショーなどをみて「佐村河内ふざけんな!」と思っている人ほど観てほしい映画です。メディアと社会ムードの結託(ぐるになって)した状態では少なくとも“真実”あるいは“事実”なるものはみえてこない。これからの社会で必要な能力は、多くの情報を得ることよりも情報に疑いの眼をかけ、世論そっちのけで自分なりに考えてみる。そうでもしなければ懸命に生きることは不可能であると私は思います。さあ、この映画を観て“疑いの視座”を持とうではありませんか!
訳注
1、世論(せろん)
この世論は2つの読み方があり、一つは「よろん」二つ目は「せろん」と読む。一昔前では「よろん」は輿論とされ、「せろん」は世論と明記され、ふたつは別の意味としてとらえられていた。輿論を英語に訳すと「パブリックオピニオン」つまり「公的な意見」。そして世論の方は「ポピュラー・センチメント」で、「大衆的な気分」となる。著者が批判するのは世論である「ポピュラー・センチメント」とメディアの考え方が多くの場合に重なってしまうことである。
※引用文献「リベラル保守宣言」著・中島岳志
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