学問は自由にアクティブに!
第一回 イントロダクション 既存の評価機構から逸脱せよ!
「学問の本質は、学問を自分がどう活用できるかにかかっている。 現実社会に応用できないような学問は無学と言われても当然である。 」福沢諭吉〈学問のすゝめ〉より
こう言ってのけたのは、明治 学問の神様である福沢諭吉であります。福沢は、学問とは何かを思考し論じました。わたしは上記の福沢の言葉に、強い重要性を感じます。〈現代社会を動かす学問〉わたしはこの言葉を〈生存戦略としての学問〉としてとらえます。福沢は近代化をとげる日本において、学問の重要性をときました。福沢は近代化日本の人物ではありますが、上記の言葉には未来永劫、普遍的な価値があります。 メディアアーティスト 落合陽一氏は、著書のゼロヒャク教科書で、〈脱近代の教育〉を提示します。では、近代とは何でしょうか。近代化日本における学問の生存戦略はなんだったのか。 昨年亡くなられた、故・西部邁氏が著書で多用していたことです。モダン(近代)とは、〈モード〉(流行)と〈モデル〉(模型)を融合させて作り上げた言葉です。つまり近代とは、大量の簡単模型が大量に流行することであると。実際、日本はそれで近代化を遂げました。それはヨーロッパやイギリスから影響を受けた、極めて外発的な発展ではありましたが、政府は官営模範工場をつくり、大量生産し、生産性を高め、富国強兵をスローガンに国の国力を向上させたのです。 しかし、ここで問題提起をします。現代の教育、学問ははたして〈これからの社会に適応できる学問〉をすることができているのでしょうか。
フォード主義(大量生産型の単純労働)からポストフォード主義(多品種少量生産型の独創的な労働)に移り行く現代社会に、今の教育をうける子供たちは、幸せに生きれるのでしょうか。 もちろん、全員が失業者になることはないでしょうし、これからの時代は〈ご飯を食べていく〉ということは昔に比べて楽になるでしょう。 でも、ご飯を食べているだけでは人は幸せを感じられません。承認も得られませんし、愛も得られません。 それだけではない、日本の先行きも、非常に不安なものです。2040年には、日本のGDPは中国の10分の一になるであろうというデーターがでています。 日本の中高生の自己肯定感を皆さんは知っていますか。「いまの自分に自身があるか」という質問にアメリカ、中国、韓国は平均的80%、日本、8%。私はこのデータをみても、さほどおどろきませんでした。日々学校で生活する中で、この現象は如実に表れています。 わたしは教育システムに対して、さほど理想も夢も抱いていなかったのですが、ほとんどの国民が約十三年もうけることになるのなら、その教育現場で未来の人材がつぶされたり、〈クズ〉になったり、社会的排除をうけるようになっては絶対にならないとおもいます。 これには複合的な要因があるのでしょう。例えば、親からの承認です。子はどんなに思春期でも親からの承認を求めるものです。その承認の受け皿が〈偏差値〉とか〈学歴〉とか〈成績〉とか、損得オンリーの自発的なものであれば、自己肯定の低下、あるいは勘違いしたバカになるのは必然でしょう(バカとは言い過ぎました。でもそうとしか感じられない生徒が多すぎるのです)。
日本の学校は内から湧き上がる内発性をまったく無視して、損得の自発性によってなされた課題を99%評価します。そもそも学校における〈主体〉はミシェル・フーコー(あるいはベンサム)の概念に由来するものです。 これはもともとは19世紀にベンサムが考え出した一望監視装置からです。収監された囚人は、監視室をみることができますが、監視室からこちらを見ているかは分かりません。ゆえにいつも見れているような感覚になり、自発的に自分を律します。〈詳しくはⅯ、フーコー「監獄の誕生」〉 このシステムの応用が内申というものです。すぐおわかりでしょう。あとは軍事教練の応用です。みんなで集団行動をし、規律を守る。どれもこれも、70年以上前に開発されたシステムです。これだけ流動性の激しい世の中で日本の教育は、いつまでも『みんないっしょに、みんな同じに、右に倣っていきましょう』という〈均一化〉を図っています。でも、日本の学校はまだこれを続けています。どういうことでしょうか。
教育委員会が掲げる「アクティブラーニング」「クリティカルシンキングを養う」なんてのは、お題目にすぎません。
もう一度言います。僕は現段階のすべての教育を否定はしません。しかし、こんなレベルの教育は、現代社会においてなんの能力も引き出しませんし、イノベーションをおこすような人材も出てこないでしょう。 本来、学問はこの上なく楽しいものです。内発的な学習は、自分を強化します。だから少なくとも今のは、 与えられた既存の評価機構から逸脱して(あるいは適当にこなして)、アウトサイダーとして生きることを進めます。本来、逸脱などとは書きたくありませんでしたが、この考えが共有されていないのだとしたら、そういうことになってしまうのでしょう。 もっと学問をしましょう。そして「知」のありかたが激しく変化するこの時代に、本当の「知」を獲得しましょう。それはあなたの生存戦略になるはずです。
今回はイントロダクションです。これから不定期で、教育について論じます。よかったら読んでください。もしよんで共感してくださったら、ツイートなどをお願いします。
この文章を、全国の不登校児と内発的な学問をのぞむすべての学生に捧げます。
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