山本太郎現象と露呈した日本社会
令和初の参議院選挙があった。私は有権者ではない。だが、いつにもまして面白い選挙だったことに間違いない。そして、いつにもましてこの日本がいかに衰退してしまったかがわかる選挙でもあった。この社会の風を吹きまわしたのは山本太郎氏であり、氏に対する世論はまさしく日本そのもそである。内発的な政治変革の第一歩となった。また単なる社会批判になってはならないので、これからにつなげていく処方箋も提示したいと思う。
・感染力のある政治家 山本太郎
2009年にバラク・オバマがアメリカ合衆国大統領に就任した。その時の日本の総理大臣は麻生太郎氏だった。オバマ大統領の就任をアメリカ中が主福した。黒人初の大統領というヒーローが誕生した。オバマ大統領には日本のここ数十年の首相にはない〈感染力〉があった。
太郎氏の政治政策には弱者保護の精神がある。しかし氏の言葉は、社会的な弱者のみをささない。20年以上のデフレにより、不景気によって踏みつけられてきた社会の末端の人々も含んでいる。太郎は叫んだ。消費税増税?デフレ時にそんなことをすれば消費は今よりももっと冷え込む。14年に5パーから8パーに引き上げた際も、それにより個人消費は低下した。しかも政府はこの財源を「社会保障の充実」という名目で集め、その財源を負債返済にまわした。負債返済は一円たりともお金を生まない。政府はブラックホールに国民のお金を突っ込んだ。 消費税ほど不平等な税はない。消費税は凍結じゃ生温い、廃止だ!あるところからとる。あたりまえだろ!国民の中に瀰漫している空気を、山本太郎は言葉にした。
ここで、山本太郎の経済政策の現実性はおいておく。それでも、山本太郎を応援したい。
しかし山本太郎氏と同じ政策をかがげる野党は他にもいる。立憲民主党はれいわ新選組と野党としてともに戦っていくことを宣言している。(でも立憲の与党と争わない忖度政治にも、もううんざり。)では山本太郎は他の政治家と何が違うのか。山本太郎には圧倒的な感染力があった。 もっとも利他的で、命がけで政治をおこなっている。山本太郎の中に信念が蟠踞している。この命がけの政治家に感染した有権者たちの熱気はほかの政治家とは比べ物にならない。私は山本太郎の演説に吸い寄せられた。選挙の前日、新宿にて。新宿駅西口7から半径150mは太郎の演説に聞き入っている。こんな光景、日本では滅多に見られない。田中正造の再来とも思わせるような山本太郎。私はこの人物の立振る舞いに感染した。
・左翼ポピュリズム
ある新聞社が山本太郎は左翼ポピュリズムであると報道した。たしかに、この熱狂をみればそうも言いたくなる。一時的な熱狂には注意を払う必要がある。ポピュリズム=大衆迎合主義だとすれば山本はポピュリストではない。しかしもともとポピュリズムは「民衆に寄り添う政治家」というポジティブな意味をもっていた。いつしかポピュリズムは大衆の鬱屈した感情に付け込んで大衆を騙すレイシストのようになった。現に、ドナルド・トランプ氏はその見本とされている。ヒトラーもムッソリーニも、大衆の拍手喝采によって選ばれた独裁者だった。 つまりポピュリズムには2種類の型がある。ヒトラー、トランプを始めとする大衆迎合は、西部邁氏の多用していた言葉を使われたし。これすなわちポピュラリズム。ポピュル=人民ではなく、ポピュラリティ=人気。鬱屈に漬け込んだ政治家たちは人気によって票を得ても、なにも生み出さない。太郎は違った。何かを生み出すポピュリズムだった。そもそも、山本太郎の政治はむしろ昔の保守派とも近い。ろくでなしの法律を作って、アメリカの腰ぎんちゃくとなって、アメリカ様のための憲法改正をやろうとしているエセ保守派とは違うのである。
・メディアはどこまで堕ちて行くのか
選挙前、私はテレビで山本太郎を一度も見ていない。支持者たちが寄付して3億円以上の資金を集め、市民による大きな政治現象となっているにもかかわらず、メディアは報道しない。れいわ新選組は政党要件を満たしていなかった。でも、そんなの関係なく、民意がこれだけ山本太郎を支持しているのに、報道しない。政党要件を満たしていないから報道しない?笑止千万。これはもうメディアではない。メディアは権力を監視して、国民に知らせるためのものじゃないのか。 ペンタゴンペーパーズを新聞に掲載したニューヨークタイムズのように、ウォーターゲート事件を暴きニクソン政権を辞任においやったワシントンポストのように、メディアはジャーナリズムの柱を持っているはずである。つまりジャーナリズムは言論の自由と戦い、権力を告白するという機能を持たなければならない。日本のテレビを中心としたマスメディアはジャーナリズムではなく、視聴率のみを追い求める。山本太郎よりも吉本の芸人が問題を起こしたほうが視聴率をとれるんだったら、選挙なんてどうでもいい。山本太郎をテレビで見ないどころか、選挙の放送もあまり見なかった。
れいわ新選組は〈放送禁止物体〉と自らを名乗り、メディアが扱わない現状を皮肉っていた。たしかにSNSではれいわ新選組は非常に盛り上がっていた。しかし選挙をするのは日本国民全員。テレビは視聴率1%で約100万人が視聴している。街頭演説とSNSはたしかに拡散力はあるが、やはり限度があった。 もうメディアはよくならないのだろう。シルバー民主主義と呼ばれている今、地上波に顔がのらないことは致命的だった。仮に放送して落選したとしても、メディアは国民にこの政治家を知ってもらうのは責任であり使命である。 選挙が終わったら山本太郎を2,3日取り上げてあとは永遠と吉本芸人問題。はあ、もうテレビ見るの辞めよ、、、。
・投票率
最後に、投票率について少し触れたい。いつにもまして投票率が低かった今回の選挙。48.8%。選挙に行く動機を高めるためには、自分〈主権者〉が政治をコントロールできる感覚をもつ必要がある。
平成29年から、18歳からの選挙権が認められた。平成28年の参議院選挙の10代の投票率は46.78%。決して高くはないが、同年20代の投票率35.6%に比べるとまだましだった。「わたしには選挙権があるんだ。選挙に行かなきゃ」と10代は少なからず思ったのかもしれない。でも20代になって、大学やら就職をすると自分のことで手一杯になる。自分が行っても何も変わらないし、行かない。そうなってくるのかもしれない。しかしこの年代は多くの情報機器をもっている。スマホやPCを使って、自分の見たいものだけでなく公共性のある有益な情報を集めていく必要がある。難しいかもしれないけど、インターネットのリテラシー能力だけが頼りになる。
学校教育にも選挙について学ぶべきである。それは従来のテストの点を取るための学習ではなく、国民として、民主主義を理解してもらうための教育。小中学校から政治的ディベートなどをするのも面白い。
ある意味、この時代は一人一人がメディアとなることができる。そこには可能性があるかもしれない。
これからも欺瞞のメディアと出鱈目政治が続くのだろう。
僕たち民主主義、民主主義最高!だってみんなで政治を選んだら、こんなに素晴らしい社会になったのだからね!民主主義万歳。と、本気で思っている人がたくさんいるのである。
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